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マツダ病院を知る

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マツダ病院の歴史


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マツダ病院の歴史

マツダ株式会社
マツダ病院の歴史


戦後60年以上が経つ今も、
そして、この先いつまでも、
忘れてはならない想い。

広島に生まれて、育てられた
マツダだからこそ。

創業者・松田重次郎の想い
「地域への恩返し」

病院構想のベースには、創業家の歴代社長、松田重次郎と
恒次親子2代に渡る強い思いがありました。

松田重次郎
(1875~1952)
マツダ株式会社 創業者
地元向洋出身

松田恒次
(1895~1970)
マツダ株式会社 社長在任期間
1951年-1970年

東洋一の病院と評された 
総工費7.5億円、150床(当初)

地上7階+塔屋1階 構造:SRC造 
延べ面積:12,000㎡

当時では珍しい全館冷暖房完備 
最新医療機器設置

待合室

診察室

手術室

放射能治療室


「社員に健康で安心して働いてもらいたい」
「東洋工業(現・マツダ)を支えて頂いている地域社会へ恩返しをしたい」
それが、社員の定期検診など予防医学に重点を置き、
また、地域に開かれた病院の設立につながっていったのです。

それから半世紀過ぎた 2012年1月


2012年1月には入院棟が完成し、
2013年9月には外来棟のリニューアル完了



Mazda Way

「Mazda Way」
2008年度に、これまでマツダで受け継がれてきた基本的な考え方や価値観を7つに集約し、仕車を進める上で大切にすべき考え方を「Mazda Way」としてまとめました。「Mazda Way」に基づく取り組み行動を「コンピテンシー評価」の評価項目として活用しています。また、創立100周年を機に「Mazda Way」の原点である歴史を社貝全貝で振り返る場を設けました。今後も、全貝がMazda Wayを自然と実践できるよう、取り組みを推進していきます。

誠実

私たちは、お客様、社会、そして仕事に対して誠実であり続けます。

基本・着実

私たちは、基本に忠実に、地道で着実に仕事をすすめます。

継続的改善

私たちは、知恵と工夫で継続的な改善に取り組みます。

挑戦

私たちは、高い目標を掲げ、その実現に向けて挑戦します。

自分発

私たちは、自分発で考え、行動します。

共育(ともいく)

私たちは、成長と活躍に向けて、自ら学び、自ら教え合います。

ONE MAZDA

私たちは、常にグローバルにOne Mazdaの視点で考え、行動します。
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